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毎日出会う「お知らせ」「気づき」を忘れないように書いておきます。

パリ!?
g+に書きましたが~
今日が、日本標準時刻の日だと知り↑
気になって、調べてみたら~

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世界中の経度と時刻の基点となる本初子午線は、1884年の国際子午線会議でグリニッジ天文台を通る子午線と決められました。
しかし、この会議でフランスはパリ天文台の子午線を本初子午線にするよう主張しました。
グリニッジ天文台は1676年に、パリ天文台は1677年に建設され、いずれも歴史と伝統をもつ天文台であったからです。
国際子午線会議では、参加国の投票によって、グリニッジを本初子午線と決議したのですが、もしも、この時、グリニッジが本初子午線に選ばれなかったなら、明石は東経135度からずれて「標準時のまち」でも「子午線のまち」でもなかったことになります。
明石にとって、標準時子午線は「天から降ってきたような」存在でしたが、この偶然の出会いを大切に育ててきたのは、明石の先人の卓見というべきでしょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

パリ??
また、「パリ」のキーワードが、出て来ました…
怪しい(;¬_¬)
更に↑
調べてみたら~

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1913年11月にパリ天文台はエッフェル塔をアンテナとして使い、アメリカ海軍天文台と無線信号(電波)を交換して、2地点間の正確な経度差を決定した。

天文台が作られたのは太陽王ルイ14世の時代。
当時の財務大臣コルベール(1619-1683)が「学問と美術は、武力や武勇と同じように、国王の名誉に貢献する」と若き国王を説得し、建設が始まりました。
科学アカデミー・天文台の建設地は当時まだパリ郊外だった広大な荘園地帯。
視界が開けた大地で、観測には最適の場所だったようです。
天文台の建設を引き受けたのはクロード・ペロー(1613-1688)。
「長靴をはいた猫」などで有名な童話作家シャルル・ペローの兄です
。クロード・ペローはルーヴル宮殿の柱廊を設計したことでも有名で、建築や医学に造詣が深い科学者でした。

パリ天文台の建物は4つの壁の方角が全て東西南北に正確に合わせてあります。
建物の中央にはパリ子午線が通っており、1884年にグリニッジ子午線にとって代わられる以前はパリ子午線が世界標準でした。
また十進法に基づいた新しい尺度である「メートル」の基礎になったのもパリ天文台でした(尺度を探す探検隊が天文台から出発しました)
。地球規模の尺度が必要になって来た大航海時代、その単位の発見に最も情熱を注いだ国は地球測量の実績を持つフランスでした。
日本でも日常的に使われるメートルという言葉がフランス語だという事実に、フランスの測量技術の高さを感じさせます。
他にも気温が安定している天文台の地下研究所では、物体の落下実験や温度計の設定などが行われました。

フランス革命時、パリ天文台が狙われたこともありました。
王立施設だったため、革命派の人々に王党派や貴族の隠れ家と考えられ、標的にされたのです。
有名なバスティーユ襲撃の2日後には、300人の武装した革命軍の男たちが天文台に現れたと言われています。
当時の天文台の所長であったカッシーニ(1748-1845)が、天文台で革命政府の転覆を狙っていると疑われたためでした。
カッシーニはそんな来訪者が来るたびに地下を案内させられ、武器庫がないことを証明しなければなりませんでした。当時の不安定な社会の中で起きた一種の強迫観念でした。

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出た!!
エッフェル塔

フランス革命時代の前世の紐解きをアドバイスしていたのは~
波動変動日の10日でしたよ!?
その前世映像については、映画「マレフィセント」からの流れでしたが(*_*)

う~ん(*_*)
トータルして考えてみると↑
基準点が多数決で決まったってところが、ヒントかな?
多数決の投票する人々が何を考えて、その票を投じたのか?

どうやら~
表面的には見えない…
始めからのズレを加味して色々判断しないといけないみたいてすね(._.)

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0度が0度ではない
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